しばらく更新を怠っておりましたが、まとめてご報告します。
2月から3月にかけて、いくつかワークショップをさせていただいておりました。
 
まずは2月12日(火)。
大正区仏教会からのご依頼で、
僧侶のみなさんに「ナマモノの声を知る」と題したワークショップをさせていただきました。
昨年2月に西本願寺で行われた節談説教研究会で講義させていただいた時のご縁でお招きいただき、もうそれだけで嬉しく、ありがたいことでした。
 
節談説教研究会でもお話し、最近はあちこちで開催させていただいている「声の地図を作る」シリーズは
「ガンガン声を出して喉の能力アップ↑↑」
という感じですが、
打って変わって「ナマモノの声を知る」は超感覚系レッスンです。 
 
声も、言葉も、体から生まれます。
論理に齟齬がないから相手に伝わるのではなく、滑舌が良いから伝わるのでもなく、
言葉が相手まで届くためには、体が土台となります。
自分の体がどこにあるのか?を感じ続けることで、リアリティのある言葉を相手に届けることができます。
 
最近流行りのマインドフルネスに近いようなワークを、
お坊さん相手にするという、
「余計なお世話」感あふれるワークショップをさせていただきました。
 
なんか、言葉にしすぎちゃうと、この感覚がつぶれちゃいそうな感じがするので、詳しく説明しないでおきますね。
やってみたい方はレッスンにおいでください。
写真撮るのも忘れてしまいました。謎で終わらせときます。
 
 
 
それから、いつもの「声地図」が3本。
2月23日(土)には滋賀県は長浜市で、演劇をされている若い方を中心に。

長浜、本当にいい味出してます。

 

3月6日(水)には、神戸にて。

こちらは助産師さん主催で、歯科衛生士さん、幼稚園の先生、ケアマネさん、ライターさん、プロのボイストレーナーさんなどなど、いろんなバックグラウンドをお持ちの方にご参加いただきました。

 
 
そんで、一昨日、3月30日(土)には横浜での2ヶ月ぶり2回目のワークショップを開催させていただきました。
前回と同じ内容の基本編をお昼に。

グループで声の真似しあいっこをしていただきました。
だんだん声の聞き取る力と、聞いてすぐに真似する力が上がっていきました。
 
  
夜には「裏声の地図を手に入れる 〜のびやかに、ひそやかに、すこやかに〜」と題してさらにマニアックな内容を行いました。

 
「裏声」というと、「高い声」や「ホワホワした声」という漠然としたイメージがありますが、
裏声の中にも「低い裏声」や「鋭い裏声」もあります。
 
大事なことは、声帯をしっかり薄く引き延ばすこと。
音色を「なんとなく軽い感じ」に寄せるのではなくて、声帯の運動として薄く張れることで、
喋りすぎた時や、声が枯れかけた時にも調整がしやすくなります。
 
「『いつも』を離れたいろんな声が自由をくれる」というコンセプトでレッスンを行なってますので、
「裏声さえ出せれば健康」、というわけではもちろんありませんが、
高い声も出しやすく、音程を移行しやすく、声の調整をしやすくしてくれるのは確かです。
 
裏声が逃げやすい部分では、つい結果を急いでしまって、息の量を増やしたりして力技で音色を作ってしまうので、
めちゃ小さい声や、めちゃ少ない息にしていただき、
 
「パッと見(聞)で軽くて裏声っぽい」だけでごまかさないよう、
母音や音程が変わっても裏声を絶対に逃さないよう、
ストイックに薄い声を探しました。
 
せっかく裏声を攻めるので、この日のテーマソングは「はじめてのチュウ」です。
2時間のワークショップの終わりの方では、みなさんのコロ助度がすごかったです。
 
  
 
終了後の懇親会で、ご参加の方から「ワークショップの間にだんだん羞恥心がなくなってくる」という感想をいただきました。
自分を守るための羞恥心ですが、羞恥心で自分を守っていることで、
時として、音声的にも、気持ち的にも、言葉を伝えられない、という状況につながってしまいます。
 
ただ、羞恥心がなくて開けっぴろげで気持ちと体が一致していて明るく表現できるに越したことはないですし、そりゃーそんなことできたら確かに伝わりやすいのですが、
伝えるために羞恥心をなくすことから始めるのは大変な労力を伴います。
 
解決策としては、
そもそも、声には「いい声」も「悪い声」も「恥ずかしい声」もない。そのために地図の広さを知るのがひとつ。
 
もうひとつ思うのが、型を身につけることが、一歩飛び出す勇気をくれる、ということです。
 
「本当に思ってること」や「ありのままの自分」を伴わなくてもいい。恐怖を抱えたままでいい。
なんの意味もなく、ただ「こんな声」「あんな声」という型を辿ることによって、
強い心ではなくて、型がわたしを守ってきてくれたな、と思います。
型に守られながら、型が自分の知らない世界に導いてくれて、体が拓いていく。
逆に型にハマりきれず、どうしてもはみ出てしまう自分が見えてくる。
そうしてるうちに自分がのびやかでいられる状態や、本当に行きたい場所を見つけて、
無理に自分らしさを探さなくても、相手に伝わりつつ、自分にも心地のいい声を選んでいけます。
 
だから「歌いたい」「喋りたい」「自分を表現したい」とは思えない人にこそ、自分の声を観察して、実践してみていただきたいなと思います。