ひょんなご縁で実現した方条遼雨さん(身体思想家・武術家)とのコラボ講座は、おかげさまで満席にて終えました〜。
前半が私メインで「声の地図」ワーク、合間でツッコミ合いつつ、後半は方条さんメインで「体の地図」ワーク。
もくじ
私はいつもの喉の話
私の方は、個人レッスンでもワークショップでもいつも最初にお伝えする、いつもの喉の話をしました。
ここがわかると、声を育てていくための手がかりになりますし、細かい声のトラブルや「こうなりたい」に対応するのがずいぶん楽になるからです。
あと、一般的に見落としがちなことなので。
めちゃミクロな話
発声している時に、どのパーツ・どの要素を、どのくらいの可動域の中で、どんなバランスで使っているのか、という目印や指標を作れると、声をコントロールしていくのがとても楽になります。
喋る時には抑揚があり、強調したい言葉があり、センテンスのまとまりがあり、そこに感情が伴って声色が変化していくので、
声にかかわる筋肉のバランスは把握できないくらいめまぐるしく変動します。
歌になると、喋る時よりも広い音域や息の長いフレーズ、楽曲に求められる「この箇所はこういう音色で歌わないといけない」、といった制限が大きくなるので、もっと広い可動域とコントロール力が必要になってきます。
だから部分的な意識だけではカバーできないのですが、だからといってマクロな方向づけだけをしていると、使いにくい要素が使いにくいまま、代償運動が起きやすくなってしまいます。
だから部分的な練習は、精度を上げていくためには必要なことだと思っています。
これを話している時に、方条さんが「座標調整能力」とおっしゃったのが、「なんて的確な言葉!」と思いました。
偏ったりズレたりして、ありたい形や行きたい場所にいなくても、戻れればいい。
戻るためには今いる座標がわかったら便利。
だから、要素ごとに分解して、観察して、動かして、座標の解像度を上げていくことをおすすめしています。
ニュートラルとは何か
「喉の構造的にどこにもバイアスをかけずに、真ん中・ニュートラルでいることは可能か」という問いもありました。
ニュートラルゆうのは位置的に真ん中・中庸・フラットであることそのものというよりかは、戻る力・座標調整能力なのではというのが今の仮説です。
ずっと動き続けてるので。
そんで、自由に動くために、「偏りのなさ」や「ニュートラル」を目指しつつも、偏れる力・ズレられる力・歪める力、というのにも思いを馳せます。
ニュートラル・中庸を目指しつつ、一方で偏れる力を持っておくことは矛盾せずに両立できることと思っています。
偏りや歪みや緊張を「悪」として忌避するのが一番嫌なやつやなと思います。これは構造的な話じゃなくて私の中の倫理ですけど。
ただこの辺は、どんな場面でのニュートラルなのか、どんな状態をニュートラルととらえているのか、といった前提をちゃんと共有していないと永遠にすれ違ってしまって「きのこ・たけのこ戦争」状態になってしまうので、またじっくりお話ししたいところです。
方条さんによる「体の地図」ワーク
方条さんのターンでは、「体の地図」をテーマに、丁寧に体を観察しながら、脱力を試みていきました。
細かく手順を追って、一つずつ力みと脱力を繰り返しながら、必要な力は残し、不要な力みを抜いていくワークをしました。
脱力してだるんだるんの腕から始まり、だるだるの体を作りました。
とくに腕を掴んで押しあいっこみたいなんする時は、私は合気道で手刀を立てたり指先に張りを作ったりするのが癖になってるので、だるだるにするのがめちゃ不安。
でもだるだるの方がちゃんと力が通ってるのがペアワークで確認できて、すごく不思議だけど新感覚で面白かったです。
「ミクロorマクロ」問題(パーツを意識すると全体がおろそかになる、全体に意識を向けるとパーツが(略))と同じように、
「腑抜けた脱力or力み」問題(力みをやめると腑抜けになり、腑抜けをやめると力む)がありますが、
こんなやり方で不要な力みだけ抜いていくことができるんだなーと目から鱗でした。
ふかふかな空気感
この日は方条さんの対話力にすごく助けられました。
絶対に正しさを押し付けないあり方がとても心地よく、会場全体がふかふか空気で、講師のはずの私がたくさんええもんいただきました。
あとはあれですね、「ミクロorマクロ」問題の話してる時に、方条さんが「局所を使うときほど全体を感じないといけない」「部分しか使ってないけど大元が動かされる」っておっしゃってたので、方条さんの開き気味の声帯を閉じた時に体に何か起きるのか、はたまた何も起きないのか、実験してみたいです٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
方条さん、世話人してくださった牧さん、園田さん、ありがとうございました!