12月20日、東京よりJIDAIさんを兵庫にお迎えしました!
コロナ流行真っ只中、開催していいものか、主催者としてはハラハラしましたが、
無事終えることができました。(ホッ)
体をゴリゴリ機能的にしていく”基礎クラス”は満席!
本を読んでJIDAIさんをお知りになった方、
関西からせっせとJIDAIさんに会いに上京していた方、
ご友人にオススメされてJIDAIさんに初めて接する方、
医療者や運動トレーナー、
武術やボディワークをいくつも習っておられる方、
あまり運動はされないけれども”心”に興味のある方、
とバラエティあふれ熱心なみなさんにご参加くださいました。
JIDAIさんのまとう柔らかく優しい雰囲気のおかげか、教室全体が、初回とは思えない和やかでのびのびとしたレッスンでした。
もくじ
雑感
”張力で動く”の実践
JIDAIさんが書かれたご著書「張力で動く」を一通り実践する形になりました。
この日レッスンを1日受けて、
腕が軽く動くようになったり、
体ががっちり安定するようになったり、
自分の知らない感情が湧き溢れてきたり、
といろんな”良いこと”がありました。
「筋力を超えた張力で動く!」というのは、
張力が働いてる時も筋肉は使っているはずだけど、筋肉には着目しない。
力を働かせたい方向には着目せず、拮抗する動きを意識する。
体を動かしたい時は、体には着目せず、呼吸を通す。
押したい時は、引こうとする。
感情を表現したい時は、体に着目する。
という、それそのものから少し距離を置く、ということが通底しているように思いました。
”距離の置き方”の難しさ
私は声楽をやっているので、「感情を伝える」ことが長年のテーマでありますが、
例えば嬉しい場面で一生懸命嬉しさを表現しようとすると、
演者としては、「嬉しさ」に必死になって発声のバランスが崩れ、
その崩れを補填するためにパワーで声を押し出したりしてしまって体が疲れてしまったりします。
あとは、自分がイメージできない感情は表現できなかったりします。
一方で、それをお客さんとして見た時には、演者の努力とは裏腹に、
「この人は今嬉しいんだなぁ」と頭では理解しても、嬉しさそのものが伝わってこなかったり、
白けてしまったりして、あまりいい表現とはいえないものになります。
(そういう力一杯演じている姿に感動する、という方もいらっしゃるので、好き好きですが。)
だからといって、ただ感情を意識せずにいると、無表情になってしまって何も伝わらなかったりします。
表現するのだけど、表現に執着しない。
という”塩梅”が難しい。
「自我を捨てる」「全体を感じる」「”する”のではなく、そのものに”なる”」と言い表されることもありますね。
そういう言葉は耳にタコができるぐらい叩き込んでいても、
たまたま調子がいい時や、何回かやってる中で上手くいくことはありますが、
具体的に何が起きてるかわからないので再現できない。”たまたま”に任せるしかない。
”全体の見通し方”を知る
”塩梅”を測るためには、何かしらの判断基準が必要ですが、
この日のレッスンで教わったたくさんのワークで、”全体の見通し方”を学びました。
それそのものから距離を置いても道筋がわかるために、全体を見通し、自らの位置を定める。これが明確でした。
”見通し方”がわかるので、「JIDAIさんの先導があるからなんとなく上手くいってしまう」のではなく、
同じ手順を追えばおうちで一人でも再現できます。
そして、おうちで繰り返しながら、日々感じ方も変化し、”見通し方”が体の中で醸成されていくのも感じています。
”見通し方”は応用ができる
この日の受講者のみなさんが後日、
マッサージ師さんはご自身の施術に、
舞踊家は舞踊に、
特に運動をやっていない方は日常の動作に、
みなさんそれぞれの持ち場で活かしているとお聞きしました。
「肩甲骨が柔らかくなる方法」「安定する姿勢の作り方」といったような、部分を切り取ったHow Toではなく(部分的にもよく動くようにはなるけど)、
”全体の見通し方”だから、何にでも応用できて、
「本当の自分の身体は天才だ!」のキャッチコピーの通り、自分の本来の能力を活かしていけるのだなぁと思いました。
のっけから冗長的になってしまいました。
具体的にどんなワークしたのかはつづきをご覧ください。
第1回JIDAIメソッド関西特別レッスン②基礎クラス
第1回JIDAIメソッド関西特別レッスン③表現クラス