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表現クラス

いろんな方向から体を動かしていた基礎クラスから打ってかわって、
表現クラスは、感覚をじっくり観察して、一人一人の感覚を言語化して聞き合いながら、
とても精密で研ぎ澄まされた時間となりました。

表現と表出の違い

”表現と表出の違い”という話から始まりました。
表出は、ただ、その感情があるのがわかるだけ。頭での理解。
一方で表現は、その人が味わったことを同じように相手も味わえるように、芽生えさせるようにデザインして伝えていく作業
だそうです。

その”デザイン”をどうするかというと、
レッスンの中では、「自分に手ごたえを感じることは反発させられてしまう
体に張力があると、感情は相手に浸透するように伝わっていく
と話されていました。

基礎クラスでのワークでは、「相手を力一杯押そうとして押した」時は、
押す方には力感があり疲れてしまい、
押される方は「押されまい」と一生懸命ふんばることができました。

で、力一杯押してるのに、動かすことができません。そして押してる方も痛い!

一方で張力を作って「押すけど引くつもり」で押した時、相手は軽く吹っ飛んでいくのですが、
押された方は、強い力感なく、柔らかく持って行かれてしまう。
全然痛くないし、自然に体が運ばれてしまいました。

内面の表現も同じことなんだと思います。
”嬉しさを表す”ことに必死になると、手ごたえができて反発されて伝わらなくなる。
自分がやりたい・伝えたいことから少し離れたところに意識が向くと、自分にも力感がなく、相手に力が柔らかく伝わっていく。

そのために、体に張力が必要。
体の変化は脳がキャッチするので、体の変化は感情の変化になる。
体に張力が作れると、体は変化するので感情に変化が起こり、その感情は張力があるので相手に自然に伝わっていく。
ということか。うまく説明できない。

(ちょうど昨日、別のセミナーで、「心は体に起こったことのセンサーの役割をしている」という表現をされていて、よくわかる〜!と思いました。)

抽象的っぽいけどできる


表現クラス写真。

頭からキラキラキラーー!!
と、いきなり、陰キャラにはハードルの高い、ハイテンションのワークです。
でも、喜びを作ろうとすると、自我が妨げてきます。
なので、「運動として喜ぶ」そうです。
うん、ただの運動ならできそう。

そして一回ずつ、
「重いものを投げる」
「投げてもエネルギーを出し続ける」
「息で頭の中が広がる感じ」、、、
と、段階を上がっていきます。
それを1回ずつ自分で感覚や変化をチェックして観察します。

なかなか説明しにくい

って色々書いてもよくわからないと思うし私もなかなか書くの難しいです。
その中でも文字では伝わらない猛者、「皮膚だけで表情を作る」

皮膚だけを動かそうとしている様子。一見しかめっ面でただ座ってるだけ。

表情筋をできるだけ使わないように、顔の皮膚だけで笑顔や怒り顔やしょんぼり顔を作ります。
見えやすい・使いやすいところ(表情筋)は作り物になっちゃう。
見えにくいところを使おうと思うと、深いところや自分から少し離れたところがいいそうです。
そうすると、お客さんの身体感覚に浸透していくのだとか。
(でもコミカルな演技をする時は体から離れてる方がいいそうです。本当のことになっちゃうから。コミカルさには偽物っぽさが必要なんですね。なるほど!)

写真見ても、みんなしかめっ面してるようにしか見えませんが、
みんな一生懸命、皮膚を観察して、”皮膚だけ笑顔”、”皮膚だけ怒る”などなど、探っています。

一見全然笑顔に見えませんが、
皮膚を引き上げようとすると視界が明るく、周りのものが好意的に見えたり、
皮膚を引き下げようとすると視界が暗く、周りのものが怖く見えたり、

見え方が変わってきます。
私の中にはこんな感情が眠ってたのかー!という新鮮な感覚でもありました。

嫌いな人の皮膚や動きを真似る

皮膚を動かした後、憧れの人の皮膚を真似てみます。

逆に、嫌いな人の皮膚を真似てみます。
そして嫌いな人の動きも一緒に真似てみます。

表現クラス写真。嫌いな人の姿を真似ようとしています。

嫌いな人の皮膚を真似てみると、めちゃくちゃ気持ち悪くて、イライラしてきます。笑
「早くこのワーク終わってー!」と本気で思いました。笑

なんていうか、「嫌いなその人」に近付くからイライラする、というよりかは、
窮屈で肌触りの悪い服を着せられている感じ。

私はいつもイライラしてる人を真似たのですが、
嫌いな人の真似しながら動くと、周りのものがすごく攻撃的に見えました。
人だけでなくて、柱も壁も迫ってくる感じ。
視界がトゲトゲしてる。
それでますますイライラする。笑
このイライラはあえて演じようとしなくても、自然に湧いてきてしまう。

演じる時に、情景をイメージするだけでなく、
この”普段の状態”から離れられて”相手の状態”になれるかどうかが、
自分が経験しているように伝わっていく表現と、頭では理解できるけど伝わらない表現の分かれ目

なのかな、と思いました。

感覚を拓く

表現クラスは、ただ体を動かして、楽に動けた!力が強くなった!わーい!
という単純なものではなくて、
それぞれが徹底的に感覚を言語化していきました。
同じワークをしていてもそれぞれ感じることが違う。

不安や恐怖がわいてくる人、
ゴジラが迫ってくるように感じる人、
知らない場所に放り込まれたように感じる人。
色々。

でも、「知らないものばかりの感じを、不安や恐怖と名付けることもできる〜」と、共有することもできたりして楽しい!

感覚は頼りにならない。とよく言われます。
たしかに、この結果的に現れた感覚を目的として、次演技する時に「ゴジラをイメージする」としてしまうとズレてきてしまいますが、
何か達成したいゴールに至るプロセスで、
自分にどんな変化が起きているのか、
どのように周りを把握しているのかを観察して、自分で名前を付けること、
そしてその解像度を上げること、

これらは自分と付き合っていくために重要
であると思います。

他者の理解、自分の責任

また、イライラしてる人を真似た時、自然にイライラがわいてきました。
嫌いな人はこんな風に世界が見えている!のかどうかはその人にならないとわかりようがないですが(笑)、
ほんの少しの違いで、自分がイライラする人になってしまう。

何か悪いことが起きたから怒っているというだけではなくて、
自分の状態によって感情が変わってしまう。
誰のせいでもなく、自分のせいでもある。
ほんの少しの違いで、自分がその嫌いな人と同じ状態になってしまう可能性もある。

という、パフォーマンス以前に、日々生活していく上で、
他者への想像力を持つことや、自分の感情への責任を引き受けるために、とても大切な経験でした。

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