東京のボイスパフォーマー・徳久ウィリアムさんとのコラボ講座をしました!
徳久さんは韓氏意拳をされている、武術仲間です(私は韓氏意拳は半年に一回稽古受けられれば良い方ですが。入会もまだしてない…)。
数年前からお世話になっておりましたが、お声かけいただいて、
GWに神戸で、そして今回東京でコラボさせていただきました。
私は声のトレーニングにおいては、声帯のふるまい方や、声の響きにかかわる喉の筋肉をどのように使ってるかを分析し、
出したい声を出すために使いきれてない筋肉を働かせていく、というレッスンの仕方を行なっています。
細かい喉のパーツを一つずつ整理することで、出したい声を狙って出せるようにしたり、
喉の可動域を広げることで、発声という運動の負担を軽減させていったりすることを目指しています。
最近やってる「声の地図シリーズ」は後者のレッスンです。
大体皆さん、「声地図」の2時間ほどのレッスンの後、
「何も意識しなくても声を出すのが楽」「いつもより勝手によく響く」とおっしゃってます。
今回のコラボ講座では、10分ほどのエクササイズをやっただけで「喉の詰まりが抜けた」などなど、おっしゃってました。
すごい即効性あります。
私自身、このトレーニング方法を知ってから、
・うまくいった時と同じように歌おうとするのになぜかうまくいかなかったり、
・「こうしたらいいよ」と受けたアドバイスすら再現することができなかったり、
・少しの疲労や寝不足で声が全く出なくなったり、
・何をどう意識していいのかわからなかったり、
・どうがんばっても音程が下がってしまう、
・1時間も歌えばもう声ガラガラ、
・勝手にお腹が力んでしまう、
・疲れにくい・力みのない・「自然な」出し方をしたら声ヒョロヒョロ。
といった、どこからどう改善したらいいのかわからない泥沼状態から、大幅に脱出することができました。
声のしくみがわかって、自分がなぜ上手くいかないかがわかること。
どのように訓練を進めていけば、受けたアドバイスを自分の体で再現することができるかの具体的な仮説と検証ができること。
毎日毎日、目に見えて変化がありました。
でもやっぱりそれだけでは足りないんですね。
視点が部分的になりすぎて、ぎこちない、小さい音楽になってしまう。
「操作してる」のが目に見えてしまう。それでは芸術にならない。
即効性があって「すぐにわかる」分の、浅さというか。
そこで!徳久レッスンです。
徳久さんのレッスンは、とても感覚的です。
自分で自分の感覚を捉え、でも自分の中だけに閉じこもらず、
相手と自分の関係や、自分と今いる空間の関係とも同時に繋がり続ける方法を教えてくださいます。
そうすることで、「細かい部分」を「大きい視点」の中で感じることができ、
部分に居着かず、流れや広がりを作ることができます。
自分のからだの感覚から離れないことで、ただ大げさなだけではない、地に足のついた、リアリティのある言葉を相手に伝えることができます。
こういう感覚を、私は合気道の稽古を通してうっすら経験してはいたのですが、
どうやったら合気道をやったことのない人にこの身体感覚を経験してもらうことができるのか、どうやったら具体的に歌に応用していくことができるかがわかりませんでした。
そこで出会った徳久さん。
いやー、しかも再現性があるんですよ、これ。
普通は感覚的なことって、一呼吸ついただけで、同じことでも今さっきの感覚と変わってしまうんですけど。
これは、何か現象が起こった後に確かめるような、つまりもう現実に存在しない「過去」を感じる時の感覚や、
今までに経験のないことをがんばって頭で作る「イメージ」ではなくて、
自分の身に、今、起こり続けている、今の流れを観続ける稽古だからかな、と勝手に思っています。
この意識の使い方は私の強力な土台となり、今も私の中で育んでいます。
そして、私がコツコツと学んできた細かいボイトレ法と魔改造させることで、
相乗効果がありましたし、どちらもなくてはならないものだと実感しました。
それは生徒さんにとっても同じでした。
部分が整うことで、全体の動きや見え方も変わる。
大きな視点がなければ、部分を連動させることができない。
でも、こういった声のワークは
「ただ上手で器用なだけじゃなく、感動できるパフォーマンスをするため」
でももちろんあるのですが、
全ての人が感動できる声を発せなくてもいいと思っています。
声や言葉に苦手意識がある人にとって、
自分の力で、すぐに声が変えられたり、声を出すことが楽だと感じられたりすることは、
一歩踏み出すための勇気を得るために必要です。
「おはよう」で1日が始まって「おやすみ」で1日を終える。
その合間では「お願い」をして「ありがとう」を伝える、って繰り返しをしている中で、
声の担う役割は大きいです。(ええ声や表現力が必要、という意味ではない)
もちろん、体が開いていて、リアリティのある言葉を発することができる、
「パフォーマー」であるに越したことはないですが、
体が閉じて、棒読みのような言葉しか発することできなくても、
それでも声を発して大丈夫だと思えること。
その結果、声を発することができること。
声という道具の使い方を知っていて、「言わずにいよう」の選択肢しかなかったのが「言うこともできる」「こうしたら聞こえやすくなる」って選択肢が増えるだけで十分。
何か強大な守りたいものを抱えたままでも、マイナス10がマイナス8になるだけでもずっと体は軽いです。
誰でも声は伸びる可能性を持っています。
声が、何か立派なものとしてではなくて、生活のすぐそばにある、いつでも・どのようにでも扱える選択肢であってほしいです。
そして、そのためにボイストレーナーを利用してほしいなと思います。