2年前に横浜でご縁をいただいた、方条遼雨さん(武術家・身体思想家)とのコラボワークショップを、またもひょんなご縁で、京都で開催させていただきました‹‹\(´ω` )/››

↓2年前の様子

今回も、前半が私の声のワーク、後半が方条さんの体のワークでした。

有田のターンは「響きを通す」

2年前、横浜では理屈っぽいワークショップをしましたが、「なんか方条さんとのワークショップで、頭使ったり意図的なことするのもったいないな〜」と思ったので、めっちゃイメージ使うワークをしました。

時々いびきが聞こえます

寝転んで、色のイメージを使いながら、全身に呼吸を通します。
呼吸が通ったら、そこに声・響きを通します。
でも、通そうとしないのがミソです。
響きが通るための道をあけてあげる、という感じ。

そうとして意図が働くと、響きが通るための道が詰まっちゃう。
だから色のイメージを使ってみました。

イメージを使いながら、物理的に体に響きが起こるのを感じる。
体の響きを感覚できたら、これを畳、空気、と広げていきます。

最終的に、今回は一人だけで発声してるわけではないので、同じ空間にいる隣の人・隣の隣の人、向かいの人の響きとの融合を感覚します。

文字で読んでも意味わからないでしょ。
こういうワークは普段は芦屋でやってるので、ご興味あればどうぞ〜。

「声」は泥沼化しがち

今回、「自分の声がわからない」「音程が取れない」「自分の声が嫌い」「歌は絶対歌いたくない」という色んな方がいらっしゃいました。
声は見えないからよくわからない。
わからないから難しい。
どうしたらいいかわからないから、こわい。
どうしようもないから嫌い。

あるある!

「絶対歌いたくない」という方がいらっしゃったので、一瞬迷いましたが、やっぱり自分の状態を確認いただくために前後で歌いました。「ふるさと(文部省唱歌)」を。
せっかく響きが通っていても、歌を歌おうとすると、メロディを正しく追ったり歌詞を正しく歌おうとして、せっかくの響きが潰れちゃうんですよね。
それがもったいなくありつつも、そういう制約があることで、自分の癖や傾向が自覚できる機会にもなります。
普段からよく歌う方であれば、普段との違いがよくわかります。

多様さや自由が尊重されるこの時代、「型」というものは嫌われがちですが、型があることで、どうしてもそこからはみ出てしまう自分が見つかります。
そこから自分の輪郭が浮かび上がり、次に自分がどう進むか・どうあるか、の方向性が見つかっていくのだと思っています。
だからね、歌ってみるといいです。全然思い通りにならないのがよくわかるから。笑
(思い通りにならなくても掴みどころを示していくから大丈夫です)

声で遊ぶのは楽しい

最後にご感想を伺っていて、「歌を歌いたいと思ったことがなかったけど、調和が気持ちよくて合唱をやってみたくなった(細かい文言はうろ覚え)」というような感想をいただきました。
これ、嬉しいですね〜〜〜〜。今まで興味なかった方が、面白さに気づく。これ、めちゃ嬉しい。

そう、声はいっぱい遊ぶ切り口あります。
声は、自分の体にも、気持ちにも、一緒にいる相手にも、環境にも合わせて無限に変化します。
だから何もわからないと「掴みどころがないもの」になってしまいますが、感覚の仕方が少しでもわかると、ずっと変化し続ける一生遊べるおもちゃになります。
ぜひ遊んでください!

方条さんのターンは「前のめりをやめる」

気持ちが前のめりになって、相手を「押そう」「倒そう」と思うと、それが力みに繋がって、逆に弱くなってしまう。
「押そう」としない方が強くなる。
「意識」って、部分的にしかできないですからね。「押そう」と意識すると、体の一部分しか働かなくなってしまう。そしたら構造上弱いですね。そりゃそうです。

というのを、ペアで押し合いっこしながら、確認しました。
「押そう」という気持ちがあると、力を受ける方は、気持ちが生じた瞬間にわかります。自分の腕とぶつかる。
だから抵抗できてしまうし、反撃もできてしまうし、まず力のぶつかりが気持ち悪い〜〜〜。

方条さんのワーク中の様子。参加者16人がペアになって腕を伸ばし、押し合いっこしている。

方条さんのワーク中の様子。ペアで押し合いっこ。

押そうとしないために「負ける練習」をしたのも面白かった!
押す方が、相手を押した拍子に崩れてしまう練習。
崩されることを前提にする。力が届こうが届かまいが「知ったこっちゃねえ」という状態にいる。
その方が強くなる不思議。

宿題「負ける声」

「負ける練習」を、声に当てはめるとどうなるか???

負ける声って、弱々しい声になる様子しか浮かばないな〜と思っていたけど、
たとえば「昔から声小さくて通らないんです〜」とおっしゃる方。
いつも負ける状態にあるから声小さくて弱々しいのでは?負けてるけど強くないよ?と一瞬思ったけど、
結構そういう方、体の構造が崩れててどっか力んでたり(そういう人は運動経験ない人が多い)、心理的にも「言い間違えないように」とか「嫌われないように」とかで、武装してる人が多い。
弱いけど(弱いが故か)「負けない」ようにしている!!「知ったこっちゃねえ」になれていない。

というわけで、声で「負ける練習」がどうやったら実現するか。俄然見つけたいです。

声と体を同時に稽古する効用

私のターンで「響かそうとしない」「伝えようとしない」と繰り返していたら、方条さんのターンで「前のめりをやめる」というワークが展開されたのが最高でした。
そして体のワークは、相手を通してイケてるかイケてないかが瞬時にフィードバックできるのがGOODです。
自己満足や「やってるつもり」「できてるつもり」にならずに済むし、わけわからなくても相手から伝わる力が手立てになってくれる。

私が20代前半まで、自分の声がどうにもならなくて悩んでいた頃に、合気道に出会ったことで自分の体の使い方を知り、組む相手の接点を通して自分の体の運び方を見つけていく経験ができたことで、声との付き合い方が見つかり、救われたことが蘇りました。なんだか初心にかえったような気持ち。

声は見えないから、課題があってもどうしたらどう改善する/悪化するのかがわからない。
さらに「自分の」声だから、「自分一人で」なんとかしようとしてしまう。
だから「やらなきゃいけないこと」で手一杯・頭いっぱいになって、自分も聞かされてる方も全然楽しくも嬉しくも何ともない、一方的な声や必死な歌をぶつけてしまう。
だから声のパラレルな稽古として体の稽古をしてフィードバックすること、それも一人ではなくて、誰かを通してわかること、頭での理解ではなくて感覚できること、が必要だと改めて思いました。

長々と書きましたが、要約すると、めちゃ楽しかった!です。
方条さん、主催してくださった酒井さん、本当にすばらしい機会をありがとうございました〜!またお会いしましょう!

参加者さんのご感想

ご参加者さんがFacebookでご感想を投稿してくださったのを引用さしていただきます!

「声と体のワークショップ」といわれても、生活の何かに直接関係はないけど、何かすごく気になる講座だ、行かねばならぬ、と思って行ったんですよね。
で、やってみて、どうだったか。
うん、すごく良かったのです。
前半も後半もあらゆるメタファーが詰まっている講座でした。
参加者さんも不思議な方や面白い方が多かった印象です笑

呼吸を意識したり、声を出したり、声を潰してみたり。
自分の体のどこにどんなふうに力が入っているのか、よくよく観察してみたり。
参加されているいろんなひとのエピソードを聞いて「自分の声やからだを無視してたり、なんやったら嫌ってたりしていたな、みたいなことにやわらかく気付いて、それをとっかかりに自分のあり方が柔軟になっていく講座」やなあと思いました。

「自分を知る」というと、「思い」や「考え」など目に見えない、触れないものへのアプローチを想定しがちだと思うのですが、自分の体とお話する、丁寧に自分を自分で感じていくやり方をする、自分自身の体のくせを味わうかたちで知っていきました。
当事者研究の理念のひとつ、「研究は、頭でしない、体でする」に、半日じっくり没頭させていただいた感じです。
これ、ふしぎだけど、めちゃ気持ちいい。
また行きたい、と思いました。

嬉しいご感想!ありがとうございました〜!

終了後の懇親会。昼下がりから居酒屋で飲みまくりました。

アフターの懇親会も楽しかった!昼から飲酒。方条さんが顔色一つ変えずに日本酒死ぬほど飲んでた