指揮者・歌手の櫻井元希さんを東京からお招きし、出版された教本「旋法とヘクサコルド」を元にしたワークショップが、9月から京都でも始まりました。
1日のワークショップで2コマあり、
1コマ1旋法なので、9月と10月で既に4つの旋法を終えました。
全部で8旋法あるのであと半分!
そして8旋法を完了したら、次はそれぞれの旋法を、ムタツィオを含めて歌っていきます。
当初の触れ込みとしては、「産業革命以前の音楽を演奏する人は必須」でしたが、
「マジでこれをわからずに演奏しようがない」
「歌い回しを組み立てるためのかなり大きいピースが抜け落ちてた」
と思いました。
ざくっと感想箇条書き。
- 教本を読んだ印象とワークショップを実際に受けた印象は全然違う
- 教本読んで「わかった!」って思ってるのはほぼ思い込み
- 本当に感覚的で体感が命
- 体感してても声で表すのは至難の業
- ワークショップっていうか修業
- UtとDoは読み方が違うだけの問題ではない
- 読み(シラブル)が違うだけで全てが変わる
- 読み(シラブル)によって強弱や音の引き伸ばしといった歌い回しが変わる
- 「歌い手の意図によって任意に変える」のではなくて、必然的に歌いまわしが決定する
- 歌詞もハーモニーもリズムもない、ただの階名の単旋律がここまで表情豊かで有機的なメロディになるのが衝撃的
- 今まで「歌で大事なのは言葉や」とか言って言葉の奴隷だったの本当に申し訳ありませんでした
- 櫻井さんの旋律のニュアンスを捉える感受性と言語化する表現力が凄まじい
です。
もくじ
ヘクサコルドとは
6音階のこと
現代の音階は、【Do – Re – Mi – Fa – Sol – La – Si】の7音(7シラブル/ヘプタコルドとも言う)です。
昔の音階は、【Ut – Re – Mi – Fa – Sol – La】の6音階(6シラブル/ヘクサコルド)で、Si がありません。
シにあたる、ラより全音高い音が出てこないわけではなく、
ドレミファソラシド↑〜と上がるところは、Utレミファソレミファ〜↑と「読み替え」て上がっていきます。
これがムタツィオと言って、ワークショップでは8つの旋法を一通り練習した後に、この読み替え=ムタツィオの練習が始まります。
あと、DoじゃなくてUtと言います。
大まかな違い
ヘクサコルド:旋律をわかりながら歌うためのもの。
ヘプタコルド:機能和声や調性感をわかりながら歌うためのもの。
旋法とは
このワークショップはグレゴリオ聖歌を教材として練習していきます。
グレゴリオ聖歌が歌われるようになった後、時代が下ってから、たくさんの聖歌を分類しようとして生まれたのが「教会旋法」で、8種類あります。
どの旋法も使っている音は同じ【 Ut – Re – Mi – Fa – Sol – La 】の6音だけど、Finalis(終わる音)とDominant(安定してる音)がそれぞれ違っていることで全然違う感触になり、感触が違うので歌い回しが変わります。
母音と体の関係
武術家・光岡英捻先生から学んだという母音と体の関係だそうです。
右肩から上に向かうのがA
右腰から下に向かうのがO
左肩から横に向かうのがE
左腰から内側に戻ってくるのがI
胸の内側に入る、方向性がないのがU
だそうです。
この方向性をながめながら、それぞれの母音を伸ばすと、5母音のキャラクターが際立っていきます。
陽キャラのA、陰キャラのU、鋭いような冷たいようなのI、涼しいけど広がりのあるE、重みのあるO、印象ではそんな感じです。
この母音に対応する階名のシラブルも同様に、FaとLaは明るい。Miは鋭い。Reは流れるよう。Solは深い。という印象が出てきます。
そこで、DoなのかUtなのか問題。
7音階の時に歌うDoの音って、楽典では「主音」と役割が与えられていて、土台で安定していてしっかりしていてDominus(主キリスト)的で「つよつよ💪」なイメージですが、
Utと読むと、陰キャでめちゃくちゃ微妙な印象を持つシラブルになりました。
同じメロディをDoって読んで歌うと、つよつよフレーズになってしまうし、何より和声的になってしまいます。
これが衝撃的でした。読み方が違うだけじゃなかった!!!
それに、聖歌が和声的になると聖歌的じゃなくなってしまうのも驚き!
シラブルの性格
ヘクサコルドにおけるシラブルの質感としては、
柔←→固
高←→低
の別があります。
高い←→低い
7音階だとドレミファソラシドレミ・・・と循環していくので、ドと言っただけでは高いのか低いのかわからない。
あくまでも機能和声を理解するためのもの。
一方で6音階の場合は、Utより下の音はなく、Laより高い音もない。
- Laは一番高い音なので、「高い感じ」という質感があり、下がろうとするエネルギーがある。
- Utは一番低い音なので、「低い感じ」という質感があり、上がろうとするエネルギーがある。
柔らかい←→固い
柔 ファ – Ut – ソ – レ – ラ – ミ 固
の順で柔らかさ・固さがあります。
ファはめちゃ柔らかい。ミはめちゃ固い。
何年か前、ルネサンスポリフォニーを習っていた頃、フレーズに「ミファ」が出てくると注意を促されました。
「ここは”ミファ”だから云々」と言われるんです。
「”ミファ”だったら、どうしたらいいんや?」と思ってたわけですが、
めちゃ固い音(ミ)からめちゃ柔らかい音(ファ)への飛躍なんですね。
それと、母音観で言うと、左から内に戻ってくるI母音と、右上への明るいAへの飛躍でもあるわけです。
そりゃあ特徴的な音程だよ!
シラブルと歌い回し
シラブルにキャラクターと方向性があるということで、必然的な歌い回し(強弱やテンポ・リズムの揺らぎ)が生じます。
これは、シラブルにキャラクターや方向性があるために、あるシラブルからあるシラブルに移る際には、移り変わるエネルギーが必要だから、と私はイメージしました。
前向いて歩いてるところに後ろを振り向いて方向転換する時に、スピードが弱まったり、ブレーキかける力が必要だったりするのと同じように、シラブルの移動にはエネルギーが生まれる、みたいな。
たとえば、【レ-ミ-レ】という単純な上がり下がりでも、
- レ は中庸寄りの固め、 ミ は超固い、という質の変化。
- レ は左横に広がって、 ミ は内に向かう、という方向の変化。
こういった質や方向性を変化・移動させるプロセスに時間がかかるがために必然に音が伸びたり、
逆に勢いで行けるがためにスッと音を流したり、
その移動のためのエネルギーによってクレシェンド・ディクレシェンドのように音量が調整されたりして、
結果的にアゴーギク(テンポ・リズムのゆらぎ)やデュナーミク(強弱のゆらぎ)が生まれます。
「ここでテヌートしよう!」「メッサ・ディ・ヴォーチェしよう!」ではなくて、シラブルをそのシラブルらしく歌おうと思うと、結果的に音量やスピードが変化させざるを得なくなります。
リズムもハーモニーも歌詞もなくても歌になる
聖歌に入る前のドリルはこれです。
文字並んでるだけなんか〜い 楽譜ちゃうんか〜い
これが歌になります。
ミは固いけど弛んでる、ファは柔らかいけど張っている、といった質感作りや、
シラブルをどの位保持して、どこまで保持したら次のシラブルに移るのか、どんなスピードで……といった移行のプロセスをストイックに練習していきます。
リズムもハーモニーも歌詞もない、ただのシラブルの羅列に見えるこれが、櫻井さんの誘導で歌うとめちゃくちゃ有機的なメロディになります。
ワークショップを受ける前、一人で教本を読んでた時には想像もつきませんでした。
ワークショップ中に「歌い手は表現を歌詞に依存しすぎ」「歌詞だけ大事にするなら演劇でいい」というような発言もありました。
私はこれまで歌詞・音韻フェチで、もはや言葉の奴隷でした、本当にすみませんでした。
全てが関係性によって変化する
【レ – ミ – レ】を歌う時、1個目の「 ミ に向かう レ 」と2個目の「戻ってきた レ 」は違います。
また、同じ「戻ってきた レ」でも、
【レ – ミ – レ】の レ と、
【レ – Ut – レ】の レ と、
【レ – ソ – ミ – レ】の レ は、
全部ニュアンスが変わってきます。
さらにそれが旋法によって変わってきます。
第一旋法の、[Finalis:レ ─ Dominant:ラ ]の関係の中での【レ – ミ – レ】と、
第二旋法の、[Finalis:レ ─ Dominant:ファ ]の関係の中での【レ – ミ – レ】と、
第四旋法の、[Finalis:ミ ─ Dominant:ラ ]の関係の中での【レ – ミ – レ】は、
それぞれ全然違う。
旋法とシラブルの関係はインド楽器で理解しよう!
旋法の違いで(FinalisとDominantが何の音かによって)、各シラブルの質感が変わるので、インドの楽器であるタンプーラで、FinalisとDominantの音のドローンを流しながら歌います。
ワークショップの間中、ずっとインドが響いています。なんやこの空間。
でもこれがあることで、
第一旋法では
ミ:レ に戻りたくなる
ラ:ふわっと広がる
第4旋法では
ミ:ファ に行きたくなる
ラ:広がりはあるけど ファ に戻りたくなる
みたいな旋法による違いが体感できます。
中国武術仕立てのグレゴリオ聖歌 〜インドのドローンを添えて〜
歌い回しを決める要素
というわけで、歌い回しは以下の要素の影響を受けます。
- 母音の身体性
- シラブルの 固←→柔
- シラブルの 高←→低
- シラブルの 張←→弛
- 旋法
- その音の前後のシラブル
変数が多すぎる!!!!!!
ワークショップの中で、
「高くしようとしたら固くなった」
「弛んでも柔らかくならないで」
「高いのと明るいのは違う」
と、超微妙なニュアンスを一つ一つ練習していきます。
繊細すぎるので1ヶ月分の集中力がワークショップ6時間で完全に蒸発します。
でも、6時間どっぷり浸かるので、深く潜って潜り切って体に馴染んできた上で実践していける感じがあります。
これが3時間だと、「なんかわかってきた」ところで終わってしまうな、たぶん。で、1ヶ月開いて忘れちゃう。
櫻井さんの言語表現がまたすごい
- ファ から懐に隠すような ミ
- 【ミ – ファ – ソ – ファ – ミ 】は55歳だけど【ミ – レ – Ut – レ – ミ 】は30歳
- ファ旋法のファは湯気
- ファ旋法の[ファに対するミ]はビールに対するフライドポテト、あるいは日本酒に対するエイヒレ
- ファ に戻る安心感の中にある レ
などなど、言語表現がとても多彩で抒情的で、歌い回しのニュアンスが絶妙にイメージできます。
この音程からそんな感覚受けるのか!という驚きもあります。
むちゃくちゃ細かいことしてますが、頭偏重・知識偏重にならず、なおかつ楽しく6時間を終えられるのは間違いなく櫻井さんの言葉の表現のおかげです。
合理化によって発達したものと失われたもの
均質化や合理化が進んだ産業革命後の音楽である「普通のクラシック音楽」の教育では、まず高い音から低い音まで、母音が変わっても、全ての音を均質に歌うことを訓練します。
均質に歌った【 レ – ミ – レ 】は「だからなんなん?」になりますが、
ヘクサコルドで、シラブルの質感を味わいながら歌った【 レ – ミ – レ 】はとても有機的で表情豊かな音楽になり、ただの階名唱だけどご飯3杯おかわりできます。
もちろん「均質に歌える」技術も必要なわけですが、訓練によって均質にしか歌えなくなってしまい、キャラクターを殺してしまいます。
キャラクターがあることに気づかなくなってしまってさえいるかもしれません。
キャラクターが死んでいるから、「なんか表現しないと」「個性を出さないと」という余分な欲求が湧いてくるのかもしれません。
(とはいえ、ヘプタコルドの移動ドでも、ドのキャラやソのキャラはあって歌い分けるから厳密には不均質なはずのだけど、ヘクサコルドの不均質とはどう違うのか、まだうまく言葉にできません。ヘプタの移動ドは和声的、としか言えない。)
教本のタイトルが「旋法とヘクサコルド −歌と音楽に対する感受性を養うために−」ですが、このタイトルに全てが含意されています。
旋法を軸にしてヘクサコルドを用いて歌うことで、メロディや音楽に対する感受性がビンビンになり、表現が豊かになります。
レ がただの レ ではなくなってしまう。
音楽の捉え方がまるっきり変わってしまう。
ぶっちゃけ、タイトル長いから、特にWS主宰したら頻繁に「旋法とヘクサ〜世話人の有田です」って言うのだけどこれが長いから、なんか略せるワードがないかなって考えたことあったけど、ないわ。
って言ってるけどできません
頭ではここまで理解したけど、実践するのはめちゃむずいです!!!
シラブルで歌ってわかった気になっても、全部Aの母音で歌うとシラブル感が消えるし、聖歌を歌詞で歌うと、歌詞は階名の母音とは別の母音を歌ってるのでそっちに引っ張られます。
さらに、ワークショップの最後の方でジョスカンとかのルネサンス・ポリフォニーや、バッハのコラールもヘクサコルドで歌ってみますけど、音符でリズムが規定されると、一つ一つのシラブルに必要な時間に過不足が生じてしまいます。
でこぼこ道歩いてる時に誰かに横から押されて重心移動がうまくできなくてつまずきそうになって慌てて足ついちゃう、みたいな感じ。
ほんで他のパート入ってきたらマジでわけわからなくなります。
だから、これは頭や文字でわかったところで意味のない知識で、体に叩き込んでいかないと意味がありません。
特に私は筋金入りの固定ドで絶対音感持ちなので、毎回ワークショップ後は脳みそ蒸発してます。
京都では毎回3時間×2コマで6時間かけて練習しますが、「ワークショップ✨」なんて生ぬるいものではなくて、修行、稽古、錬成、という様相です。
なので次回からの「ヘクサコルドと旋法in 京都」はタイトルを変えます。
今後の予定
次回、第3回は11月23日(木祝)に第7・8旋法、第4回は年明け1月20日(土)に第3・5旋法です。
お申し込みはそれぞれ開催日の1ヶ月前頃に開始します。
まずは日程を押さえておいてください!
体験すれば、新しい感受性が開きます。
8旋法の稽古が終わったらシリーズ終了、ではなくて、さらにこの価値観を持ってして色んな古楽作品を歌って、実践に応用していく稽古をつけていただきたいとも目論んでいます。
一緒に稽古しましょうー!