有田亜希子写真

  講師プロフィール  

有田 亜希子
兵庫県伊丹市出身のボイストレーナー。
ソプラノ歌手。
相愛大学音楽学部声楽専攻卒業。
合気道初段。好きな犬はシーズー。

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歌の勉強の始まり

中学から合唱を始め、音大目指して高校入学と同時に声楽を習い始める。
高校時代はバッハに狂い、明けても暮れてもマタイ受難曲を聴き、マタイのソロを歌うことが夢となる。
古楽専攻がある大学だから古楽ができる!と期待しながら、相愛大学に入学、そこでバッハを歌うかと思いきや、イギリスのリュートソングにどハマりする。
ヘンデルやパーセルを中心に勉強し、卒業試験はパーセルの宗教歌曲「哀れみ深い天使よ、教えたまえ(Tell me, some pitying angel)」。
卒業後はチェンバロやリュートとのアンサンブルで、各地で演奏活動を行う。
かたや仏教讃歌が好きで、今のレパートリーは現代日本とイギリスルネサンスの二本立て。

声の勉強の始まり

しかしそもそも学生時代から発声に難有りで。
先生から「あなたは声がない」とよく言われていました。
「声がない」ので声がなくても歌える、音量が小さくても許される軽い作品をレパートリーとすべきだ、と。だからオペラとか絶対ダメね。

この頃の話は話し出すと尽きませんが、少しでも寝不足だったり疲れが残っていたりすると全く声が出なくなっていましたし(でも基本的にずっと体調が悪かった)、比較的いい状態であっても、練習する時は声帯が乾くから5分おきに水を飲み、それでも1時間も練習したら声がガサガサになる、という状態でした。
あと絶対音感でピッチはわかるのに歌の音程は悪かった。ピッチの合わせ方がわからなかった。
練習しようにも練習するスタート地点にすら立てない。どうすればいいんや。。。。

そんな状態だったので、

声は「生まれ持ったもの」なのか?
じゃあ、今、「声がない」私は「いい声」にはならないのか?
「いい声を持っている人」と「持っていない人」は、どこが違っていて、何が足りないのか?
「発声が悪い」というのは、具体的に「何」が悪いのか?

という疑問がずっとくすぶっていました。
「も〜声がなくて、才能がないならないでいいから、なんで私にはできないのか、違いがわかりたい!」と思い、歌の勉強ではなく、声そのものの探求が始まりました。

はじまりは体から

最初は、声楽レッスンと並行してアレクサンダーテクニーク、野口体操、、、とボディワークをかじり始め、2013年には合気道を習い始めました。
体が使えたら歌えるようになると思ったからです。

カラダを探し回っていたら、音楽家専門の理学療法士の先生に出会い、音楽家に必要な解剖学を学びました。
さらにそこからご縁が広がり、フースラーメソードというボイストレーニング理論を知りました。
これが衝撃的な出会いで、こんな方法があったんだ!!とようやく答えに辿り着いた気がしました。(”気がした”だけでその後”答え”はどんどん更新してます)
それから3年ほどかけて、先生に会いに東京を往復して、またそこから広がってフースラー以外にも様々なボイトレ理論や、海外での研究があることを知り、学びに出かけました。

そして今の暫定的結論

まだまだわからないことだらけで勉強途上ですが、声は後天的に育てていけると確信しています。

今も日々稽古し、進化し続けていますが、一番変わったことは、

感覚に頼るしかなくて「声がうまくいくかどうかは運次第」「うまくいっても具体的に何を操作したかわからない」という雲をつかむような練習だったのが、

自分で状態を把握し、狙いを定め、見通しをもって練習して、そしてまた変化があれば自分で把握して、次の方向性を見つけられるようになれたことです。(もちろん体は複雑なので思いもかけず変化することもある)

現在は、これまで学んできたボディワークや解剖学の知識、合気道の経験、などを悪魔合体させ、
声楽家、ジャズシンガー、俳優、教師や僧侶、電話の苦手なサラリーマンなど、ジャンルを問わず、一人一人の課題やニーズに合わせた発声指導を行っています。

合気道との出会い

合気道に興味を持ったのは、友人が合気道をやっていたからでした。
その友人に歌を教えていた時、歌が初めてなのに脱力や力の使い方が上手で、すぐにイイ声が出るようになったので、
「何したん?」と尋ねたら、「合気道と一緒」と言われ、
「ほな、私の迷いまくっている発声のヒントになるかもしれない!!」と希望を抱いたのでした。
発声のために始めた合気道。
たしかに自分の声や体をどう使うか、という技術的な部分もとても役に立ちましたが、それよりももっと大きな影響がありました。

合気道は相手を投げて、相手に勝つ、格闘技のように見えますが、「対立せず、同化する」ことを稽古します。
“私が”こうやりたい」しか見ていないと、相手にぶつかって、技がかからず、力みも生んでしまうのです。
そしてその力みを回避するために、自分の体を自分でどうこうしようとするのではなくて、相手に触れている接点や、間合いを通して、自分の動く方向を見つけていきます。

これが歌う際には、ピアニストとも、お客さんとも、空間とも、自分の体とも、何とも対立せず、何をも打ち負かさず、全てひとつながりのものとして感じる。ということに繋がりました。

合気道を通して、舞台や人との関わりが怖いものではなくなり、自分のあり方が大きく変わりました。
自分の思考やメンタルだけの問題なのかと思いきや、そうでもなく、関係性の感じ方が変わることで、自分との関わり方が変わり、声も変わり、相手への伝わり方が変わります

今は、この合気道で経験してきた「相手を通して自分を観察する」「相手との接点から自分の進む方向を見つける」という感覚を、「相手に声を伝える」ことに応用する方法を模索しています。
「合気道的に歌うことってできるかな」が研究テーマです。

合気道、楽しいよ!

なんで七宝?

ロゴ制作:一ノ瀬かおるさん(漫画家)

有田亜希子、母校である相愛大学は浄土真宗の宗門校です。
大学在学中から仏教にシンパシーを感じており、今や仏教讃歌が大好きで、
たびたび浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺でも、仏教讃歌の歌唱指導をさせていただいています。

”七宝”といえば、伝統工芸の七宝焼き、伝統紋様の七宝つなぎ、などがありますが、
いずれも語源は、お浄土の情景の一つ、”七宝樹林”です。

お浄土では、七つの宝(金・銀・瑠璃・珊瑚・水晶など、経典により色々)でできた樹々が一面に立ち並んでいて、
これを”七宝樹林”と呼びます。
ここでは、金の樹、銀の樹、瑠璃の樹、、と独立しているものだけでなく、
一本の木の中に、金の幹、銀の葉、瑠璃の枝、、、と入り混じってできた樹もあり、
まばゆく光り輝いています。
お浄土に風が吹くと、この樹々が揺れ、美しく調和した音楽が鳴り響くそうです。

さらに!
親鸞聖人は、「清風宝樹をふくときは いつつの音声いだしつつ 宮商和して自然なり 清浄勲を礼すへし」とうたっておられます。

「いつつの音声」というのは、声明で使われる5音階、宮・商・角・徴・羽のことです。
そして、「宮」は西洋音楽でいう「ド」「商」は西洋音楽でいう「レ」にあたります。
世俗ではこの「宮(ド)」と「商(レ)」はぶつかって不協和音になってしまいますが、
このお浄土の、七宝樹林から生まれた「宮(ド)」と「商(レ)」は、ぶつからずに調和してしまうどころか、
聞いた者を悟りに導かれるということです。

なんやそれ最高すぎるやろ……

私のレッスンでは、みなさんが出したい声以外の、体に眠れる声を開拓していきます。
「知らん声」とか「いらんと思ってた声」が、「出したい声」の栄養になるからです。
正しい声も、間違った声も、不要な声もありません。

「声」というのはそもそも、誰かに思いを伝え、関わりあうための媒体です。
生き続ける間、自分以外の誰かや何かと関わることから逃げられません。
その他者との関わりの中で、違ったものが並立し、入り混じり、
むしろ、違っているからこそ調和するような、
そんな関係性が紡げるといいなぁと願いつつ、
七宝の名前をいただきました。